【話題のあのツイートを斬る】ジャズが衰退したのは〇〇のせい!?

とある有名なアマチュア奏者の呟きがバズっている。
その呟きとは「ジャズの不人気さの原因は卑下するひとのせい」というような内容。

そこでこのツイートについて個人的に思う事を綴ってみようと思う。

私はジャズが好きだ。
特にビバップが大好きで、死ぬまでには出来るようになりたいと思っている。クラシックを音大で学び、在学中の4年間はジャズに一切触れずに卒業した。現在はジャズを習いながら、いつか自由に演奏出来たらと夢みている。

さて、この「自由」という言葉だが、自由には様々な制約がある。件の呟きにも「ジャズはなんて自由な音楽なんだと思った」と書かれているが、その直後に「やり始めたらなんて窮屈な音楽だと思った」と書かれている。

自由の裏側には厳格なルールが存在するように思う。
例えば学校生活や仕事でも「あとは自由でいいよ」なんて言われたりするものだが、その自由にも限度がある。あまりにも逸脱した行動をとれば当然咎められる。

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自由…簡単に使う言葉だが、本当に得難いものだと思う。人類はしばしばこの自由を勝ち取る為に多くの血を流してきた。そうした犠牲の上に成り立っているのだ。

これは音楽も変わらない。多くの先人たちが作ってきた精神や魂の上に自由は成り立っている。その歴史と魂や精神性に最大限の敬意を払いつつ自分を出していくのが音楽だと思う。

これは音楽に限らずではないのだろうか?
自分達がコツコツと築いてきた物に新参者が自由を振りかざして好き勝手やり始めたら誰でも嫌な気持ちになるだろう。本来、この件はそんな難しい話ではないのだ。リスペクトがあるかないかという話だ。

ただ、例の文章の中には「初心者を卑下した」という一文もある。
それに関しては本当ならば大変残念だと思う。誰しも最初から上手くはできない。かのチャーリー・パーカーも、初期にはセッションでジョー・ジョーンズというドラマーに「あまりにも下手すぎてシンバルを投げつけられた」という逸話が残っている。

もしも演奏を馬鹿にする人間がいたら、ただ単にその人の器が小さいだけだ。幸い、自分の周りにそういう人はいない。ジャズミュージシャンはその「音楽に対する尊敬の念」を持っていれば家族のように接してくれる。本当にありがたい。

そして「ジャズがマイナーなのは初心者を卑下する人達が原因だと思う」という事も書かれている。

そもそも、クラシックやジャズとは実際専門的に勉強してみてかなり内向的な音楽だと思っている。底の恐ろしく深い音楽だ。だからこそやめられないのだが…。

例えばビバップという音楽は本当に数多くの音楽的知識が必要になる。コードの進行によって使用出来るスケールを瞬間的に選択していく。一つのモチーフを展開させてストーリーを作っていくなどなど…本当に数ある音楽の中でも演奏するにはトップレベルで難しい類の音楽であろう。無論私も出来るなんて口が裂けても言えない。

クラシックも方向性は全く違うが同レベルの難しさがある。楽器のコントロール技術に関しては特にシビアだろう。楽譜通りに聴こえさせるという事、そして真っすぐ吹くという事がシンプルで如何に難しい事か…

更にそれを共演者とのアンサンブルで曲として成立させていく事。果てしない道だ。

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誤解を恐れずに言うのならば、このような内向的な音楽は、上記のような理由で、ある程度は廃れていっても仕方ないと思うのだ。

しかも時代は刻一刻と変化している。音楽の在り方も変わらなければいけない所に来ているのかもしれない。現代はモーツァルトが生きていた時代とは違うし、ビッグバンドの演奏でダンスを踊って暮らしていた時代とも違う。

現代には娯楽が溢れている。当時の音楽に代わるものが沢山ある。
こういった内向的な音楽が廃れていったのは、そういった娯楽に勝てなくなったというのもあるのかもしれない。

ただ、こんなご時世でもアリーナクラスの会場を毎日満席に出来るミュージシャンは現在もいる。それはそのミュージシャンの音楽活動を何よりの娯楽だと感じている人がかなり多いというだけの話だ。

それを「ジャズが廃れたのは卑下する人のせい」というのは些か無理があると思う。もっともっと事情は複雑だ。

ただ、少なからずそういう経験をした方がいるという事実はもっと音楽家がしっかりと認識しなければならない。必要なのはお互いに歩み寄る事だ。

新規参入者はどんな音楽でも尊敬の念を忘れずに。大丈夫。最初から上手く出来る人はいない。
先輩方は押し付けるのではなく提案していこう。「こんな事も知らないなんて」ではなく「これを知るとこんなに楽しくなるんだよ」と優しく教えてあげよう

我々SDwindsの企画にSD_Challengeという企画がある。
本来の目的は、様々な理由で楽器を続けられなくなった人達の音楽発表やコミュニケーションの場となればと始めた事ではあるが、上記のような事への啓蒙の意味も多少は含まれる

SDチャレンジは様々なスタイルの音楽フレーズが出現する。
我々もまだまだ未熟なのは承知の上で、だが最大限の敬意をもって毎回発信している。発信するのは正直言うと怖い。しかしこの活動で少しでも多くの音楽愛好家を繋ぐ事が出来れば、そして様々な音楽やスタイルに興味を持って貰えればこんなに嬉しい事はない。

おそらく素晴らしいゲストの方々もチャレンジの出題を引き受けて下さったのは、こういった我々のコンセプトを汲んでもらっているからだろうと思う。

どんな音楽であれ、音楽をやっていれば皆仲間だ。私はそう信じている。
音楽を好きであるという気持ちは誰にも否定できない。
しかし好きだからこそ、争いも生まれるのだ。そんな時に「そういえばこんな事言ってる人もいたな」と思い出してもらえたらと思う。

素晴らしい音楽ライフを!

SDwinds 亀井政孝